願い事を叶えて欲しい人のための禅語【泥仏不渡水】
仏像を拝むと願い事を聞いてくれる?
仏像を熱心に拝む人がいます。もちろんそれで心が落ち着き、救われるのであれば、仏像を拝む行為は大変素晴らしいことです。なぜなら、宗教が哲学と違うところは、そこに救いがあるかどうかなのですから。
では拝んでいる仏像とは一体何者なのでしょうか?
今日はそんな疑問を抱く人のための禅語を紹介します。
禅語
金仏(こんぶつ)炉を渡らず、木仏(きぶつ)火を渡らず、泥仏(でいぶつ)水を渡らず
意味
金で作った仏像は炉に入れると溶けてしまう、木で彫った仏像は火に入れると燃えてしまう、泥で作った仏像は水に入れると崩れてしまう。
本当の仏とは決して壊れたりしない。仏とは仏像の様な形あるものではないということを示唆した言葉。
ひとりごと
栄西は貧しい人に建仁寺の本尊を壊してその一部を渡して、質屋にいれるようにアドバイスした。弟子たちが罰があたると師匠の栄西を止めようとすると、「貧しい人を助けない仏像なら、それは仏ではない。罰が当たるどころか、仏もきっと同じようにするだろう」と言ったエピソードが残っている。
じゃあ、私たちがあり難く拝む仏像って何?
あれは、あのような仏が自分の中に存在するということを確認する行為。
仏像はあなたの鏡みたいなもの。
手を合わせて拝んでいるのも、自分の中に有る仏、つまり自分自身を拝んでいるということ。
だから、仏さまのようによい事たくさんしないといけませんね。