邪魔ものは心がつくるイリュージョン
「じゃまだなあ」「じゃましてごめんね」「おじゃまします」
自分を妨げようとするものや相手の気持ちを汲む時に使う、「邪魔」という言葉、もともとお釈迦様が厳しい修行をしていた時、「修行を止めれば楽になる」といった誘惑、修行を諦めさせて悟らせないようとする「甘いささやき」を意味していました。
「邪」は正しくないもの、「魔」は悪さをする、という意味です。
お釈迦様も真理を悟るまでは何度もくじけそうになりましたが、誘惑に負けることはありませんでした。なぜなら邪魔なものは他人や環境にあるのではなく、自分の心が作り上げているイリュージョンだということに気がついたからです。
晴れて欲しい時に降る雨、口うるさい上司、言うことを聞かない部下も、自分が嫌だと思ことは、全て「邪魔」です。病気や怪我、年老いて思うように動かない身体も、「邪魔」とさえ思うことがあります。
この邪魔という思いは、自分にとって都合の悪いものを遠ざけようとする心です。
始めから邪魔なものがいるのではなく、自分の心が勝手に作り上げていることに、お釈迦様は気がつきました。このお釈迦様と同じ悟りを体験しようと一生懸命に修行したのが禅僧たちです。
盤珪禅師もその一人です。盤珪が弟子に邪魔ということを優しく諭したエピソードがあります。
或る日、態度の悪い若い修行僧がいました。彼はどこの僧堂に行っても追い出された後、盤珪禅師のもとで修行したいと頼みにやってきました。
僧堂の責任者であった盤珪の一番弟子は、盤珪禅師にこの者の噂を伝えて断ったほうがいいと助言しました。
「師匠、彼は私たちの修行の邪魔者となります」
しかし盤珪は、「ここはそのような者たちのためにあるのだ。修行を許そう。彼が邪魔者ではない。自分の都合で邪魔と思うその心が邪魔者を作り上げているのだ。彼のいいところを修行を通じて見つけてあげようではないか」と言って、その修行僧を受け入れました。
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この話は、現代の私たちの生活にも応用することができます。例えば、厄介者はなるべく自分の近くに置きたくないという学校の先生や上司も多いと思います。そんな時、まずは邪魔なものを作り出している自分の心の在り方に気がつくことはとても大事です。
そこに気がつくと、きっと他人を見る目も、この世の見方も少しずつ変わっていくに違いありません。
邪魔は自分の外にあるのではなく、自分の心の内にある、つまり自分の都合で「邪魔な人」や「邪魔なもの」を作りだしてしまう自分自身の心が変わると、邪魔ものは目の前から自然といなくなっていくのでしょうね。