オリンピック聖火を見て思う<尊い灯>
東京オリンピック2020(2021)ついに、開幕しました!
開幕前は、コロナ感染者数の急増や開会式に関連したスキャンダルなどオリンピック開催すら疑問視する声も多かったのですが、やはり開会式でオリンピックの希望の聖火を見ると、人類一人ひとりの尊さや団結力の大切さを再認識することができました。
さて、今回はオリンピックの聖火にちなんで、「灯」に関するエピソードを紹介します。
昔々インドのある町へ、お釈迦さまが説法に訪れました。
そこで町の人々は、お釈迦さまの徳を讃えるために、我も我もと油を買い求め、競って大きな火を灯しました。
ところが貧しい一人の老婆だけは、油を買うお金も無く途方に暮れていました。そこで、自分の髪をバッサリと切り落として油屋に持っていきました。
「ほんの少しで結構です。どうかこの髪の毛で油を分けて下さい」
「そんな白髪混じりの髪の毛じゃ、一滴分の価値も無い」
「そこを何とかお願いします。たとえ何万回生まれ変わろうとも、お釈迦様には出会うことができません。私も、お釈迦さまのために灯火(ともしび)を供養させていただきたいのです」
「そうか。お釈迦さまへの供養なら、今日だけ特別に油を分けよう」
老婆は大喜びして何度もお礼を言うと、手に入れたわずかな油を小さな皿に移し、あまり目立たない道の隅っこに置いて火を灯しました。しかし、あたりは夜になったというのに、たくさんの大きな火で昼間のように明るく、老婆の灯した小さな火など、かすんでほとんど見えません。
やがて、お釈迦さまとお弟子たちが、町を訪れようとした時です。突然、台風のような風が吹き荒れたかと思うと、無数にあった灯火が一斉に消え、町は暗闇に包まれてしまったのです。
人々が慌てているところ、お釈迦さまとお弟子たちは、静かに町へ到着しました。お釈迦様は、暗闇にたった一つだけ光り続ける、老婆のほのかな灯火を目印にして、町にやって来ることができたのです。
弟子の一人が、お釈迦さまに尋ねました。
「あれほどの激しい風が吹き、町中の大きな灯火が一斉に消えてしまったにもかかわらず、なぜこの小さな火だけは消えなかったのでしょうか?」
お釈迦さまは、答えました。
「見栄、執着、欲望は、自身をまぶしく照らし出すこともあるが、一瞬で消えてしまう弱さがある。一方、仏と法の価値を知り、その恩に素直に報いようとする者には、永遠に消えることのない灯りが宿り、正しき道を照らすのである」
東京オリンピック2020(2021)のようなオリンピックは、きっと二度とないでしょう。だからこそ、そこに人間か忘れかけている大切な何かが灯されて、それが仮に小さな灯であっても永遠に人類が忘れてはならない尊い気づきとなって、我々に照らし続けるように感じます。