美人でも結局最後は…

禅のちょっといい噺

どんな時代でも、男性は女性の美貌に目がありません。
しかしどれだけ美貌であっても、その美しさは永遠には続きません。
諸行無常の法則に例外はありません。

見る方も見られる方も、欲望の行き着く先には虚しさしかありません。
今回は、そんなエピソードを紹介します。


マカダ国の都に、天性の美しさで町中の男たちから慕われていたシリマーという遊女がいました。
彼女と一夜を過ごすためには千金もの大金が必要なほどの美人です。

彼女は縁あってお釈迦さまに帰依し、仏弟子となって修行僧たちを熱心に供養していました。
しかし多くの修行者たちは彼女の美貌に惑わされ、修行どころではなくなってしまいました。

やがてシリマーは、病のため若くして亡くなってしまいました。そしてこの時、お釈迦さまは葬る際に人々にこう言いました。

「彼女の遺体は火葬しないでそのまま墓地へ運びなさい。そして墓地では鳥や犬に食われないよう十分に注意するように」

墓地に運んでから四日目、遺体は腐って膨れ上がり、その中からウジが這い出し始めました。

お釈迦さまは、彼女に恋した修行僧たちを連れてシリマーの遺体の元に集まりました。
そして彼らは美しく見えていたシリマーの変わり果てた無残な姿を目の当たりにしました。
彼らは無常の理(ことわり)に支配されていることを知り、改めて修行に励むようになりました。

どんなに外見を着飾っても人間の最期は結局不浄である、しかしその不浄もまた無常であり、いずれ浄化され、全てが無くなってしまうのです。

こうした諸行無常の世界から、自分の人生や日々の悩みを省みると、毎日傷つき悩み苦しみながら毎日もがいている自分がとても小さく感じてきました。