自分の意見をしっかりと伝える方法
1 遠慮して言いたいことが言えない
あなたは本音で話すことができていますか。無理に相手の話に合わせようとしていませんか。
私が働いている職場を見渡してみると、自分が言いたいことを言えない人が結構いるようです。上司が何かを言うのを待ってから発言する人、ほとんど発言しない人が多くいます。
周りの人と上手く付き合っていこうとする人ほど、自分の正直な気持ちを抑えて、相手の意見に同調しようとします。
そういう人は、上司から生意気な部下だと思わたり、同僚から性格がきついと陰口を叩かれたりして人間関係が悪くならないように、他の人と自分の意見が食い違うことを無意識のうちに避けているのでしょう。
私は会議で発言しない人の意見をよく求めます。そうすると、誰かが既に述べた内容をフォローするような意見が目立ちます。真っ向から反対するような意見はほとんど出てきません。これは若い世代に限ったことではなく、上位職にも案外多くみられる傾向です。
しかし他人と議論を避けることがコミュニケーションではありません。もちろん言って良いことと悪いことをしっかりと理解し、礼儀をわきまえることを忘れてはいけませんが、身分や職位に左右されずに自分の言いたいことをしっかりと主張することは大切なことです。
2 どんな時でもあなたが主役
こうした姿を禅では「随処作主」(随処に主と作れば立処皆な真なり)と言います。
これは「どんな時でもあなたがはっきりとしていれば、何が起きようがそれにとらわれたり振りまわされたりすることはない」という意味です。
では具体的に「随処作主」になる方法を考えてみましょう。
例えば、大手のK塾は入塾数を増やすために、どの媒体に広告を出すか検討することになったとしましょう。
部長が「やはりなんといってもテレビCMだろう。テレビは誰でも見るし、会社の認知度も上がる」と発言すると、課長も「テレビCMはいいですね。費用も予算内で収まりそうですし、是非やりましょう。テレビCMで予算が余れば新聞広告も出しませんか」と部長に同調します。係長も「部長と課長の考えに基本的に賛成です」と意見を合わせます。
こういった話の流れの場合、あなたならどう発言をするでしょうか。
仮にあなたが「最近の高校生はテレビをあまり見ないし、テレビCMだと費用対効果はあまり高くない」と思ったとしても、とりあえず上司の意見に合わせてるのは、「随処作主」ではありません。
その場の雰囲気に呑まれず、役職に関係なく上司を説得できるだけのロジカルにあなたの考えをしっかりと主張することが「随処作主」です。
「随処作主」のあなたであれば、こう主張することができます。
まずは高校生にとってテレビがどれだけ有効な媒体ツールかということから検討したほうがよいのではないでしょうか。
先月のJ会社が行った十五歳から十八歳までを対象にした調査によれば、PCおよびスマートホンの利用時間はテレビを観る時間より約二倍多いという結果が出ています。
また高校生には雑誌、新聞などの広告はほとんどインパクトがないこともデータから分かっています。
では、インターネットの何処に広報を出すべきでしょうか。
高校生が選んだ最も好きな情報源はツイッターです。ツイッターを選んだ人数はテレビのよりも約二倍多いそうです。
もしネット広告ならば、ツイッター連動型の広告であればテレビCMよりも費用対効果は高いと考えます。
だからといってテレビCMや新聞広告がだめというわけではありません。
なぜならテレビや新聞は圧倒的に信頼できる情報源であることもデータから読み取れるからです。
今回の広告の目的が信頼性の向上であれば、テレビCMは最も効果的です。
しかし費用対効果や認知度を重視すればネット広告のようが良いと思います。
そこでまずはデータ根拠をもとに両サイドのメリットデメリットを目的別に精査してはどうでしょうか。
上司から「生意気な奴だ」と思われたとしても、言いたいことも言わずに後で、「バカな上司たちでうんざりするよ」と陰で愚痴を溢すよりもマシです。相手がどう思おうが何を言おうが、それは相手側の問題であって放っておけばよいだけのことです。
これこそが「随処に主と作れば立処皆な真なり」の姿です。
どんな時でもあなたがはっきりとしていれば、何を言われようとも否定的にとらえる必要はありません。
もしあなたが主張しようとするときに迷いがあれば、そもそも職場は仕事をするところであって友達を作るところではない、ましてや自分が好かれるように努める必要もないと考えてはどうでしょうか。
逆に仕事の成果をしっかりと出しさえすれば、あなたの言葉は説得力を持ち、周りも自然と耳を傾けるようになります。
3 同調圧力に屈せず、個性を大事に
他者の意見に理由もなく人間関係を重視するために同調するよりも、会社は自分に何を求めているか、目標達成するために自分はどうあるべきか、自問自答してみると、他者と同調することはさほど重要でないことがわかります。
むしろ会社が掲げた目標達成のためには、嫌がられるとわかっていても言わなければならないことをしっかりと伝えるていると、周りはあなたにリーダー像を重ねます。
個人的な好き嫌いの感情や根拠のない思いつきを持ち込んではいないあなたを、和まりはしっかりと評価し始めるでしょう。
このように考えると、職場での人間関係はドライであればあるほどよいと言えます。
上司に可愛がられたり、周りの人たちと仲が良すぎる人間関係であったりすると、自分の本音をなかなか主張できなくなってしまいます。ドライな関係であればあるほど、感情に左右されずに淡々と自分の意見を言うことができます。
全員同じ意見でなければいけないことはありません。「山は是れ山、水は是れ水」(「山は山、水は水としてそれぞれありのまま存在している」)という禅語が示しているように、山は山なりの個性があり水には水の個性があります。
その二つは働きや成り立ちは全く違いますが、お互いが調和して初めて美しい自然が成り立ちます。山も水もそれぞれの自然の美しさを保ちつつ、自然全体の眺望においても調和した一つの美しい景色として現前します。
禅では「自」と「他」がそれぞれ違って譲らない存在であると同時に、その違いが一つであるといった相即平等を説きます。
これは違いがあってもそれぞれが干渉し合うわけでもなく、ありのままの自分でいながら自然に調和する世界です。
まさに春の素晴らしさに優劣の区別はないけれども、花や枝には短いものあれば長いものもある(「春色に高下無く 花枝に自ずから短長あり」)という世界観です。
これがわかると「随処作主」も、案外、難しくはありません。
職場でも周りと調和していながらも、厳とした差別化された個が存在できるのが理想です。
意見が違うということは、自分の意見が絶対ではないということでもあります。自分とは違った価値観を他者が持っているということが再認識できます。
あなたの意見が他者と違うからといって、あなたの人格まで否定されることはありません。
むしろ他者と違った視点から建設的かつ礼儀をわきまえて話をすれば、周りの人たちもきっと新たなことに気がつくに違いありません。これが「調和」ということです。
意見や価値感が違うことが分かった後で、お互いを否定し合うのはなく、そこからお互いの別々の意見を照らし合わせて新しいものにしていくことが大切です。
これは当たり前のことと言えばそれまでですが、今は当たり前のことですら忘れてしまっているのが現実です。
きっと当たり前のところにこそ、ちょっとした気づきのヒントが隠されているに違いありません。
禅にはそうしたことを教えてくれる智慧がたくさんあります。
あなたは「随処作主」になれそうですか。