正しいことは、いつか必ず評価されるー「六万枚の版木」

禅のちょっといい噺

1 こころざしを持つ

雪が深々と降り、底冷えが厳しい寒い日のことです。
鉄眼禅師は、かぶっている網代笠とぼろぼろになった黒衣にうっすらと雪が積もっても、京都三条大橋の上で、大きな声で橋を渡る人々に必死に訴えかけます。
「どんなに少額でも結構ですから、お布施をお願いします。どうかお布施を」

寒さで顔はこわばり、手は氷のように冷たくなっても、鉄眼の声は高らかに橋上に響きます。
それほどまでに鉄眼が一生懸命になっているのは、是が非でもお経の本を出版して民衆に仏教の教えを広め、人々を苦しみから救いたいという強い思いからでした。
その強い思いには、絶対に世の中の人々の苦しみを救いたいという強い信念がありました。

2 賛同を得られなくても、めげない

しかし、そんな鉄眼の思いとは裏腹に、人々は鉄眼に対して否定的でした。

「また、私たちから金をとるのか、あの坊主。お経を出版したいらしいが、こんなところで数銭恵んでもらって何ができるというのだ。どうせ、ここで集めた金で酒でも飲みに違いない」

鉄眼の前を馬に乗った侍がちょうど通りかかった時、、鉄眼はその侍に声をかけました。
「ちょっとよろしいでしょうか。私は一切経六千巻を出版したいと思っております。どうか、お布施をお願いします。いくらでも結構ですので、なんとか布施を」

馬に乗っていた侍は、一生懸命に訴える鉄眼を軽くあしらいました。
「急いでおるから、あとにしてくれ」
鉄眼は、馬を進めて去ろうとする侍に訴えることをあきらめずに馬の横について一緒になって小走りをしながら言いました。
「お経を出版してお釈迦様の教えを広めれば、人々の心は安らぎます。世のため、人のためになるのです。そのためのお願いです。どうかお布施を」
「そんな六千巻もある経典の出版を、お前みたいな薄汚い坊主ができるわけがなかろう。無理に決まっておる」

鉄眼は更に侍に言い寄りました。
「無理だからこそ、やるのです。六万枚の版木に一億文字を刻んで、何が何でも一切経を出版しますので、どうかお布施を…」
「うるさい。いい加減にしないか」

侍はそう言い放って、馬を急がようとしましたが、鉄眼はそれでも後に引かずに馬の前に立ちはだかって言いました。
「もしあなたが仏様に救われたいという願いがあり、そして世の中の人々が幸せに暮らせるような平和な世の中を望む気持ちがあるなら、どうかお布施を」
「ほんとにしつこい坊主だな。これでよいか。もうあっちへ行け」

侍はとうとう鉄眼の根気に負けて、一文銭を馬の上から鉄眼に嫌々手渡しました。
「ありがとうございます。必ず経典を出版します。本当にありがとうございます」

鉄眼は合掌しながら深々と頭を下げました。その姿を見て、侍は一瞬身震いがしました。というのも、合掌礼拝した鉄眼の姿は、まるで無欲そのもので、とても尊い仏様のように見えたからでした。

3 今までの成果が無くなっても、諦めない

その後も、鉄眼は一切経の出版のため布施集めに尽力していました。
しかし当時は洪水や飢饉が頻繁に起こり、食べるものもなく飢えて苦しんでいる人々がたくさんいた時代です。

人々を救うことを使命としていた鉄眼は、もちろん目の前の苦しんでいる人々を見過ごすことができません。やせ衰えていく民たちや骨と皮だけになってしまった幼い子が細い手を差し延ばして食べ物を欲する光景を見ると、鉄眼はいてもたってもいられませんでした。鉄源は、今まで一切経のために集めたお布施でお米を買い、人々に分けることにしました。

しかし鉄眼のお寺でお米がもらえると聞きつけた多くの人々が寺に押し寄せるようになりました。それでも鉄眼は、「これでおかゆでも作って力をつけなさい」「また明日もここへ来なさい」と言って、人ひとりに優しく語りながらお米を与え続けました。

そうすると、次の日は倍、その次の日は更に倍、気が付けば町中の飢えた人々が鉄眼の寺に助けを求めて来ました。鉄眼が集めたお布施はあっという間に底をついてしまいました。鉄眼は、一切経の出版を諦めたわけではありませんが、今度は飢えた人々を助けるためにお布施を募りました。
「前にいただいたお布施は、一切経を出版することなく底をついてしまいました。今度は飢えている人々を助けるためです。一切経もあきらめていませんが、まずは目の前の困っている人を助けたいと思います。どうかお布施をお願いします」

4 必ず報われると信じて、行動し続ける

再びお布施集めを始めた鉄眼に対して、人々は不信感を持ち始めました。
「あの坊主は、一切経を出版すると言いながら金を集めているが、一向に出版しないではないか。どうせ集めた金で豪遊しておるに違いない。お布施しても無駄使いされるだけだ」

鉄眼が実際に何をしているか知らない人々は鉄眼の悪口を言うものもいました。
それでも、鉄眼は衆生を助けたいという強い信念をもって、お布施を毎日お願いしました。

そうすると、だんだんと鉄眼の人助けの噂は広まり、鉄眼の評価は少しずつ変わっていきました。
「鉄眼和尚は、どんなに悪口を言われても、困っている人を助けている。長年の夢である一切経の出版を犠牲にしても人々を助けている。そんな和尚のためなら少額でもお布施するべきではないか。鉄眼和尚の願望である一切経の出版もきっと人々のためになるに違いない。もっとお布施しようではないか」

こうして鉄眼のもとにはどんどんお布施が集まってくるようになりました。一切経を出版するには、版木となる桜の木と文字彫り師が必要です。

どうやって集めればよいかと頭を悩ませていた鉄眼に驚く知らせが入ってきました。なんと奈良吉野から何十本もの最高級の桜の木を持って百人ほどの彫り師が寺に集まっていました。

鉄眼はいったい誰がこんなお布施をしてくれたのか、一人の彫り師に聞きました。彫り師は答えました。
「我々は、溝口信勝奈良奉行様の使いで参りました。桜の木もお奉行様からのお布施でございます」

鉄眼に布施をしたのは、なんと、あの雪の降る寒い日に三条橋で一文銭を手渡した侍でした。信勝は、あの日以来どこか心の隅に罪悪感が残り、いつか謝りたいという気持ちをずっと持っていました。
実は鉄眼の噂を聞いて、あの時の三条橋の禅僧に間違いないと思った信勝は、あの時の自分の態度を反省する気持ちを込めて、奈良吉野から版木となる桜の木と彫り師を鉄眼のもとに送ったのでした。

    「あの禅僧を助けなければならない。あの時の私は急いでいることを理由にお布施を出し惜しみ、一文銭しか手渡さなかった。大変恥ずかしい行為であった。そして何より、あの小汚い禅僧がこんな高貴な僧侶であったことも見抜くことができなかった。いまこそ、あの時のお詫びと反省を込めて、鉄眼和尚を最大限支援しよう」

鉄眼が一切経を出版しようと思い立ってから十七年、一切経六千九百五十六巻が出来上がりました。日本出版事業の原点となった約六万枚にも及ぶ版木は、今でも万福寺の宝蔵院に大切に保管されています。

鉄眼が自分の夢を実現したのは、17年後です。夢はそんなに簡単に実現しないものです。言い換えれば、諦めることなく努力し続ければ、いつか必ず実現するということです。

私たちは、鉄眼禅師のように、くじけずに夢を実現するために努力し続けているでしょうか。どんなに批判されても、陰口をたたかれても、周りに影響去ること無く、信念を貫き通す強い自分でいられるでしょうか。
夢は、諦めるから夢で終わってしまいます。

夢を達成している人は、夢が現実になるまで何年、何十年かかっても続けて努力しています。
そんなことを教えてくれる禅のちょっといい話です。