子どもに伝えたいリーダーシップの大切さー「猿とツタ橋」のおはなし

禅のちょっといい噺

1 子どもに伝えたい禅語

親御さんから、子どもにどのようにリーダーシップについて教えればいいか、時々聞かれるときがあります。

そんな時、最初に私は親御さんに2つの禅語を伝えます。

    ・把手共行(はしゅきょうこう)
    ・喜捨(きしゃ)

【把手共行】
「把手共行」とは、「手を取り合っていっしょうに行く」という意味です。
リーダーは、周りの人を一つの目標や到達地点まで導く存在です。特に弱い立場の人に寄り添い助けながら伴に歩むのは、リーダーのあるべき姿です。

「把手共行」には別の意味も込められていると考えることもできます。
それは、諦めようとしたり、投げ出そうとする弱い「もうひとりの自分」をしっかりと見つめ、弱い自分を否定するのではなく、理解を示しながらバランスよく生きていくという意味が含まれているように思います。

リーダーは強くいなければならない反面、他に頼ったり弱音を吐いたりできません。なので、「もう一人の自分」と対話しながらにしっかりと寄り添って、いばらの道を進むことが必要です。

【喜捨】
「喜捨」は「喜んで捨てる」と言う意味です。
弱い立場にある人を助けるためには、自分の立場や利益は喜んで捨てることができる人がリーダーにふさわしく、周りの人たちもそのようなリーダーについていきたいと思います。

人の為に自分が得たものや築いたものを投げ出すということは、その人と同じ目線や立場になり、弱い人の気持ちを自分のモノとするということです。そうすることで、その人と自分が一体になり、助けが偽善ではなくなります。

自分のことは二の次で、まずは純粋な気持ちで人に手を差し伸べることは、リーダーにはとても大事です。上から目線で「助けてあげてる」という気持ちがあると、それはもはや助けにはなりません。

簡単に実践できることではありませんが、「把手共行」や「喜捨」を親が意識して自ら実践していくことが大事です。子どもは、親の言った通りにはしません。むしろ親の背中(行動)を見て学んでいきます。

2 子どもに伝えたいリーダーシップの逸話

では、幼い子どもにはどのようにリーダーシップについて教えればよいでしょうか。私は、親御さんに子ども用に「猿とツタ橋」のおはなしを紹介します。

    ヒマラヤ山に多くの猿たちを率いる勇敢なボス猿がいました。

    ある日、ボス猿は仲間の猿たちを連れて、大きなマンゴーの実がたくさんなっている大木が生い茂っている断崖にやってきました。断崖の底には川が流れています。

    ボス猿は「皆、腹が減っただろう。お美味しいマンゴーをたくさん食べてくれ。しかし、一つだけ守って欲しいことがある。絶対に川にマンゴーを落とさないこと。もし川に実が落ちて下流でそれを人間が見つけたら、マンゴーは人間たちに全て食べられてしまうことはもとより、我々も迫害されるだろう」と、仲間たちに注意を促しました。

    しかし気をつけていたにもかかわらず、ある猿がマンゴーを川に落としてしまいました。
    下流では王様たち一行が魚釣りをしていました。その魚網にマンゴーが引っかかり、そのマンゴーは早速、王様に届けられました。王様はその美味しい味の虜となり、家来たちにマンゴーの木を探させました。マンゴーの大木をついに見つけ出した王様は、今まで猿たちがマンゴーを食していたことを知ると、「猿たちめ、私の大好物のマンゴーを食い荒らすとは許せん。捕まえて猿肉にして奴らを食べてやる」と考えました。そこで王様は家来に猿たちを捕まえるよう命じました。

    王様一行は猿たちの住処を見つけ出し、一斉に矢を撃ち放つために猿たちを取り囲みました。異変に気付いたある猿は「ボス、大変です。矢を構えた人間たちに囲まれています。これでは皆殺しにあってしまいます。どうすれば良いでしょうか。どうか皆にご指示を」と声を震わせて言いました。ボス猿は「恐るでない。私が皆を必ず助けるから心配するな。よいか、断崖の谷間を越えたあちら側まで渡れば弓は届かないし、人間どもも追ってくることはできない」と自信高らかに指示し、皆を落ち着かせようとしました。

    「確かにその通りです。しかし、ボス、さすがにあちら側までは飛べません」
    「心配するな、私がツタを持って向こうまで飛んでツタを結ぶから、みんなはそのツタを渡ってくればよい」と言って、ボス猿は一方のツタをこちら岸にある木に結ぶと、猛スピードで走り出し向こう岸まで一気にジャンプしました。

    しかし、ほんの少しだけツタが短かったため、あちら側の岸まで届きそうもありません。絶体絶命のボス猿は、空中で目一杯ツタを持っていないもう一方の手を伸ばして、もうそこまで見える岸をなんとか掴もうと必死に力を振り絞りました。なんとかかろうじてボス猿の片手が向こう岸に生えている木の枝を掴み、なんとかツタ橋をかけることができました。しかし一刻も早く全員の猿がツタ橋を渡り終えなければ、ボス猿の手の力がどれだけ保つかわかりません。

    「さあ皆、早くツタを渡って逃げるのだ」
    仲間たちはボスの勇敢さに心を打たれたのもつかの間、ボスが力尽きてしまわないうちに急いで渡り始めました。
    猿たちがツタ橋を渡るに連れ、ボス猿の手にはどんどん負担がかかり、手から力が段々抜けていきます。仲間が全員渡り終えるまでボス猿は必死に手に力を入れ続けました。

    最後の一匹の猿の番になる時にはボス猿の腕力は限界に達していました。しかし、何とか最後まで仲間を渡らせようと最後の力を振り絞って耐え抜こうとします。
    そしてやっと最後の猿が渡り終えるのを見届けると、ボス猿はついに力尽き、そのまま断崖下の谷へ落ちてしまいました。

    その一部始終を見ていた王は、ボス猿の勇敢さに感動し、「あのボス猿は、自分の命を犠牲にして、仲間たちの命を優先して助けた。なんと素晴らしい頭(かしら)なのだ。あの猿を死なせてはならぬ。すぐに探して手当せよ」と家来にボス猿を探させました。そして谷底で発見された傷だらけのボス猿は手厚く保護されました。

    横たわっているボス猿に王様は問いました。
    「あなたはなぜ自分を犠牲にしてでも仲間を助けたのだ。一体あなたは彼らの何なのだ」
    傷ついたボス猿は、痛みを堪えながら答えました。
    「私は彼らの頭(かしら)です。私は恐れ怯えている仲間たちを決して見捨てたりはしない。肉体的苦痛は私を痛めつけはしない。たとえそれが死であっても私は怖くない。むしろ仲間たちが助かり、彼らに平和がもたらされれば、苦痛どころか大いなる喜びである。私は皆の頭(かしら)として当たり前の務めを果たしたまでです」と言って、最後に静かに息を引き取りました。

3 「猿とツタ橋」のおはなしから学ぶこと

この話は自分のためだけでなく、他人のためにも尽力する大切さを説いたものです。まさに「把手共行」や「喜捨」といった禅語や仏教語の意味を具体的に教えてくれる逸話です。

このボス猿は迷う衆生を救おうとするブッダに喩えたとも考えることができます。
禅は、誰でもブッダになれると説く教えです。つまり何でも救えるブッダを自分の外に求めるのではなく、自分自身に求めます。

ということは、このボス猿は、あなた自身でもあるのです。自分の利益追求だけでなく、ほんの少しでもいいから他人を思いやる気持ちを持つことを実践したいと思えるエピソードですね。

他人のために何かしようと思うと、つい億劫になってしまいます。ですから、あまり難しく考えずに、すぐにできることから始めてみるといいかもしれません。

今日一日、家族、部下、上司に、笑顔を絶やさず「ありがとう」という「和顔愛語」(穏やかな笑顔と思いやる話し方で人に接すること)で過ごすことも、立派なリーダーシップの実践です。