嫉妬心は人を狂わせる
嫉妬は人を狂わせる
誰にだって嫉妬心はあります。
会社、私生活、家族、友達、とにかく人が集まれば、他人と自分を比べて自分が上か下か立ち位置を確認するのが人間の性です。また、「私を見て」「私にかまって」「私をすごいと思って」「私をほめて」、自分が周りから認められないと不安で仕方がない人も多くいます。
これらはすべて自分中心的な考えです。嫉妬は最悪の場合、他の人などに危害を加えることにもつながります。嫉妬は、人が自分より幸せであることが許せなくなります。
今回はそんな嫌な一面の嫉妬エピソードを紹介します。
あいつさえいなければ…
京都宮津の人々は、戒岩寺の犬をいつも可愛がっていました。当時、戒岩寺は智恩寺の奥の院と呼ばれ、文殊堂のある智恩寺の住職も兼ねていました。
和尚の足腰が弱ってからは、智恩寺には通わずに、日々の用向きは手紙で済ませていました。
その手紙を運んでいたのが犬のシロでした。シロは捨て犬でしたが、和尚に懐いて、寺で飼われようになりました。シロはいつの間にか、和尚の言葉を聞き分けることができるようになっていました。
「シロよ、今日の手紙は返事をもらってくるのだぞ」と言うと、シロはワンと吠えて尻尾を振り立てました。和尚は、そんな従順なシロを「いい子だ」といつも頭を撫でて可愛がっていました。
一方、和弟子の小僧には「お前もシロを見習え。シロの爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ」と小言を言っていました。
小僧は、いつも褒められるシロを良く思っていませんでした。そんなある日、和尚がシロに「急ぎの手紙じゃ、夕方の鐘が鳴る前には帰ってきてくれ」と言って使いに出しました。
これを盗み聞きした小僧は、シロを困らせてやろうと、その日の暮れの鐘をいつもより一刻早くつきました。シロはこの鐘の音に驚くと、シロは慌てて寺を飛び出し、一目散に走りだそうとしまひた。その瞬間、馬車に引かれて、死んでしまいました。
息絶えたシロの亡骸が和尚の元に返ってくると、和尚はとても悲しみました。「わしが鐘が鳴り終わる前に戻るように言ったばかりに…」と泣き崩れました。
その時、小僧も泣きながら近寄ってきて、「私が悪かった、私が悪かった」と手をついて謝りました。小僧は和尚に事のすべてを話しました。
和尚は「わしがシロばかりかわいがって、お前をないがしろにしたからだ…」と言って、小僧を叱りませんでした。
和尚は小僧とともに墓を立ててシロを弔いました。それは今も宮津の犬の碑として伝えられています。
嫉妬心は誰にでもある
嫉妬心は誰にでもあります。素直に自分より幸せそうに見える人を妬むことはあります。それを無理にやめようとしてもそう簡単にはできません。なぜならそれが人間だからです。だったらどうするか。嫉妬してもその気持ちに触らないようにほおっておくことです。「嫉妬するな」と言われたらできませんが、嫉妬してもいいけれど、それはそーっとしておくことはできそうです。
Leave it alone!! そして、Let it Be!
英語で一言で言えば禅はこれだけです!